庄内地区まちづくり協議会「お知らせ・ニュース」

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【ニュース】 庄内地区高齢者学級開級式 2015.5.20
庄内地区高齢者学級の開級式がありました。庄内地区の高齢者クラブ(11クラブ)の会員で4つの学級(庄内中央、菓子野、平田、乙房)を編成しており、会員数は456名と市内でも最大級です。
本日は会員120名程が参加し、主催者の生涯学習課白石副主幹のあいさつ、来賓の庄内地区市民センターの肥後所長あいさつに続き、馬籠学級長のあいさつがありました。年間計画としては9回の学習が組まれており、9月には野外研修として知覧特攻平和会館の見学も企画されております。
開級式終了後庄内地区まちづくり協議会の朝倉事務局長より「庄内地区のまちづくり」の講話がありました。まちづくり協議会の活動の紹介、今年度計画されているコミュニティバス事業の話がありました。コミュニティバスはみなさん興味があるようで熱心に聞いておられました。



【ニュース】 平成28年度庄内地区まちづくり協議会新年度意見交換会 2016.5.10
平成28年度がスタートしましたが、多くの団体で役職の異動がありますので、顔合わせの意味を兼ねて新年度意見交換会を行いました。庄内地区4小中学校の校長先生、教頭先生、各自治公民館長、民生委員児童委員、まちづくり協議会代議員など58名の参加がありました。
釘村美千也まちづくり協議会会長から、今年も力を合わせて「すみよいまち庄内」の実現のため頑張りましょうとの挨拶があり、懇親の場では大いに話がはずみました。


【ニュース】 庄内地区まちづくり協議会総会 2016.4.26
平成28年4月26日(火)、庄内地区まちづくり協議会総会の平成28年度総会が行われ、
 第1号議案 平成27年度事業報告
 第2号議案 平成27年度収支決算報告、監査報告
 第3号議案 平成28年度事業計画(案)
 第4号議案 平成28年度収支予算(案)
 第5号議案 役員選出について

について審議され、第1号議案〜第5号議案いずれも可決されました。

第5号議案役員選出については、規約第7条1項により運営委員会の推薦案が提案され、可決されました。
役 職  氏  名
会 長  釘村 美千也(再任)
副会長  福村 修(再任)
 々   馬籠 英男(再任)
 々   徳留 次男(新任)
監 事  新田 幸夫(再任)
 々   佐土平 馨(新任)
(以上総会承認)
事務局長 朝倉 脩二(会長委嘱)


【ニュース】 諏訪神社に説明看板を設置しました
 都城市地域活性化事業(庄内地区内史跡の保存整備事業)で諏訪神社に説明看板を設置しました。同神社は都城島津家初代領主の北郷資忠の創建によるもので、江戸時代までは毎年「諏訪祭礼」が行われ、領主による直接参詣も行われていました。
 最近では都城島津家の歴史に興味を持ち諏訪神社を訪れる人も増えてきました。階段が急なので上の社殿まで参拝できない人のために、写真も入れました。
------------------------- 説明文 -------------------------
 諏訪神社は文和(ぶんな)四年(1355年)、都城島津家初代領主北郷資忠(ほんごうすけただ)により創建されたと伝わる。『三国名勝図絵』によると、資忠が鹿児島の諏訪神社を参詣した際、社頭より鎌が飛んできて、着物の袖に入ったので、それを持ち帰った。資忠は、その鎌をご神体として、庄内安永の地に諏訪大明神を創建したという。
 この由来は都城の諏訪神社は鹿児島の諏訪神社の分神であることを示している。また、鎌が飛んできて袖に入ったというのは、にわかには信じられないが、鎌は農民にとって、草を刈ったりするのに必要な農具であり、それが袖に入るというのは、農民をその手の中におさめたということを意味する。すなわち資忠がこの地の人々を治めたということを象徴的に示しているものともいえる。
 以来、諏訪神社は都城島津家により厚く崇敬され、祭礼も盛大で格別なものであった。江戸時代までは旧暦の七月二十八日に「諏訪祭礼」が行われていた。この祭りは領主主導の祭りで、その準備には領内のあらゆる身分の人々があたっており、領主による直接参詣も行われていた。
 祭礼当日、領主は朝六つ時に諏訪神社に向けて出発、その行列は総勢約二百六十人を数え、さながら行軍を思わせるものであった。その道筋は、祭礼前に道普請によって整備、清められていた。領主が神社に到着すると、社頭で舞楽などが行われ、門農民による相撲、流鏑馬、あげ馬などが行われていた。
 このように、都城にとって領主が「御社参」といえば安永諏訪神社のことであり、都城の鎮守としての役割をもっていたものと思われる。


【ニュース】 関之尾滝展望所にお雪さん物語の看板を設置しました
 都城市地域活性化事業(庄内地区内史跡の保存整備事業)で関之尾滝展望所にお雪さん物語の看板を設置しました。お雪さんの恋人経幸が槍の穂先で滝右岸の岩盤に書いたと伝わる辞世の句の写真と説明です。
 現在では崩落の危険があるということで近づくことができませんので、展望所に設置しました。
------------------------- 説明文 -------------------------
 今から約650年前、都城島津家初代領主北郷資忠(ほんごうすけただ)が関之尾滝で月見の宴を催した際に、この地一番の美貌のお雪という18歳の腰元が、殿様に見初められお酌をしました。しかし緊張のあまり殿様に酒をこぼし、お雪はこの醜態(しゅうたい)を恥じて朱塗りの杯を持ったまま滝壺に身を投げました。お雪の恋人である経幸(つねゆき)は、お雪の死を悲しみ思い余り、槍の穂先で滝右岸の岩盤に一首の歌を刻み残し姿を消しました。以来名月の夜、滝つぼに朱塗りの杯が浮かんでくると言い伝えられております。
 「書きおくも形見となれや筆のあと又あうときのしるしなるらん」


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