木城町の川原公園で、第一回川原カップと銘打ったスラローム大会をやるので是非とも参加しろ。と、小松君が言うので上野家と出かけた。小生は、もう家族というか、恋人というか、妹というか。と、マァ、若き美女3人を車に乗せて参加した。
 美女、びじょ、ビジョで引きつりそうな目をサングラスに隠し、寝癖のついた髪を帽子で押さえて早朝の10号線を北上する。余談だが、途中、タヌキ2匹、猿3匹を目撃する。どうも小生は、人様よりもそんなものがよく見える質らしい。だって、10号線を走っててそんなものを目撃した人、いますか。


 河原に降りたら、やっぱり対岸の崖に目が行く。目に青葉 山ほととぎすの季節にはまだ早いが気の早い木々の新芽が眩しい。ほととぎすではなく、ウグイスが鳴いている。でもまだその鳴き方はヘタクソなり。練習が足りんな。

 ここんとこずーっと雨ばっかりだったのに不思議とこの日は晴れた。冷たい風は吹くが棘がない。小春日の暖かさとは違い、過ぎ去ってしまった風の冷たさである。
 ここはやはり、パンジーではなく、スミレの花が良い。


 川原公園は自然にできた小丸川の水たまりである。その静水面にゲートがかけてある。初心者でもあまりひっくり返る心配もないが、上級者でもマゴマゴしてるとタイムロスの激しい難しいゲート設定になっている。鬼の小松の所以である。

 平成5年の国体で四国の川を漕いだだけあり力強く美しい。でもね、ゆう子、あなたは今年の国体選手でもあるんだからね。今年はもうちょっと精進しようかね。オジさんはもうとてもついていけないけど、なぁーにだいじょうぶ。陸の上から見てるから。

 上野家の奥さんは元国体の選手で上野家のヒーローである。今回の大会ではゆう子に次いで2位であったがその差はコンマ何秒しかなかった。現国体選手が元国体選手と同じではいけない。よって彼女は上野家のヒーローである。ヒロインではない。かな。ゴメンネ。
 上野家当主。気ばかりあせって前には進まない。という見本みたいな男ではあるが、いやいやこれがいい男なんですよ。素敵な奥さんに支えられて今日がある。という、これまた見本みたいな男でありますが、でもね、ただの女を素敵な奥さんにしたのは貴君でしょう。自信持って行きましょ。自信持って。大器晩成、何するものぞ。
 大学1年生の美子ちゃん。最近、我々のメンバーになった。ワイルドウォーターの選手として今年はがんばってもらいたい。
 3月1日から31日までの1ヶ月間、我が家にホームステイしていたアメリカのお嬢さんSuzanne。ただ、金髪に青い目の女の子ではない。ご両親はベトナムからアメリカへ移住した人たちである。よって、彼女も蒙古系民族であり、喋らなければ我が家の一番大きな娘という感じである。
 Canoeは漕いだことがあるというので船に乗せたのではあるが、Kayakは初めてだと云う。そうだった。Canoeという船の定義は広かったのを忘れていた。我々の云うCanoeはKayakであり、KayakはCanoeの一部である。Canoeにはひっくり返りにくい船もあるが、Kayakは実にひっくり返りやすいのである。
 それでもどうにか試走を含めて3回を漕ぎきり、終わってみれば女子ポリ挺の部で2位だという。表彰式では賞状まで貰ってしまった。ただし、が付く。二人しかエントリーしてなかったらしい。マァいいさ。彼女にとっては宮崎の、いや、日本でのいい思い出にはなる。
 この写真はどうだい。我が娘たちの晴れやかで華やかな笑顔は万金に代えがたい。日本の、いや、アメリカも含めてだが、将来は明るいかもしれない。この上天気は彼女たちがもたらしたものである。
 帰り道は寄り道である。ワラビ、ゼンマイ、せりを山の中で摘み、綾の酒泉の杜にも寄って試飲用のワインをたらふくご馳走になった。そのまた帰り道、ゆう子の「レンゲが咲いてる。」の一言でレンゲ摘みと相成った。
 我が娘たちの笑顔をとくとご覧いただきたい。
 今日の夕方、Suzanneは留学先である京都へ帰っていった。夏には、アメリカへ帰っていくことになっている。たった1ヶ月であったが彼女への想いは強い。大事な娘を失うがごとくである。
 今日、彼女に関わりのあった人たちは皆、最初から決まっていた別れの時を待っていた。そうするしかなかったのである。みんなにとって彼女は、優しく、賢く、そして可愛かった。別れるのは辛く悲しい。もう会うことは叶わないかもしれない。やっぱりアメリカは遠い。
 断腸の思いである。