双石山


 先週の土曜日、明日は間違いなく快晴であるという天気図をテレビで見て、久しぶりに山でも行こうと思い立った。

 さてと、どこに行くか。霧島山もいいけど、たまには違った山へ。まるまる1日時間もあるのだし、ちょっと遠くの山へ。そんなことで考えたのは県北の大崩山と鹿児島の開聞岳。まるっきり毛色の違う山だけど、共通点が一つ。時間的にほぼ同じ距離にある。片道3時間。往復で6時間。それを考えたら一人で行動するのはちょっと辛い。
 最近、年取ったせいか根性がない。そりゃあそうだ、もしも二十歳に戻れる時間があるとするならば、還暦までの時間はその半分しかありゃしない。まして、若いときに戻れるはずもなし、還暦とやらに向かって黙々と歩き続けるしかないではないか。いやいや、その前に不摂生とバチ当たりであえなく朽ち果てるやもしれない。
 そんな暗い気分になったときに思いついたのが双石山(「ぼろいしやま」と読む)。この山は間違いなく私の青春の山である。

 さて、9時に登山道の入り口に着いたら、マイクロバスがやって来てドヤドヤと完全武装の登山隊が下りてきた。ほとんどヒマラヤトレッキング隊のいでたちである。そこまでするかねぇ。いくら山に登るからと言っても車で15分も下れば巨人軍がキャンプやってるような場所でっせ。でもマァ、この15分がキャーキャーと黄色い声が騒がしい観光地と深山幽谷を隔てているのでしょうな。宮崎の自然の奥深さというところでしょうか。それにしても、なにもそこまで完全武装しなくても。雪が降るわけでもないのに・・・・・。

 なんて考えながら先に登り始めた。登りながら考えた。あの連中、ここであんな格好してたら、雪のある山に行ったら死ぬで。でも、ふと思い当たった。アア、死ぬわきゃないわな。そんな山には行かねぇんだもんな。この考えにはものすごく納得した。でもそれでいいのである。そんな人たちが山の世界の底辺も、世の中の全てを支えている。

 さてさて我が身を省みると、カヌーじゃ私もそんな一人なのかもしれない。いや、支えるほどの力もない。ただの酔っぱらいのオジさんである。それでも、私はこのスタンスが存外気に入っている。ただの酔っぱらいのオジさんが。
 ここは象の墓場。誰が名付けたかは知らない。宮崎のクライマーの多くはここで育った。ハイキングコースからはちょっと外れた場所にある。左にバランスの岩。右にチムニー。
 ここをただのゴルジュと言い賜うな。ここには宮崎のクライマーの想い出が詰まっている。私の想い出も。ぎっしりと。
 北壁。ここでは「ほくへき」とは読まない。「きたかべ」と読む。約80m。中央のチムニー伝いに登る。
 先輩に連れられて登ったことがあって、壁の中程の外側に開いたところが恐い。背中と右膝のフリクションで登るのであるが、これが恐い。時を越えてよみがえってくる怖さである。
 久しぶりに来てみると、登山口の杉は一抱えもありそうな大木である。うっそうたる杉林になっていた。私がこの山に登りはじめたころには、こいつらは腰までの高さしかない幼木でしかなかった。途中で振り返ると谷の下まで見えたものなのに。杉は大木になり、切り出されて世のため人のためになるのだろうけれども、私にはちっともその兆候が見えない。ただの酔っぱらいのオジさんでしかない。