庄内地区まちづくり協議会「お知らせ・ニュース」

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【ニュース】 「庄内地区はたちの集い」が行われました 2023.1.7
 令和5年1月7日10時から庄内地区公民館多目的ホールで、「庄内地区はたちの集い」が開催されました。朝方まで雨が降りましたが、式の始まるころには晴れてきました。
 庄内地区はたちの集い実行委員には庄内地区まちづくり協議会や地域の団体などに加え、7名のはたちの方たちが参加し昨年9月から準備を進めてきました。山田悠騎斗実行委員長のリーダーシップのもと役割分担やアトラクション企画など打ち合わせを重ねて本日を迎えました。
 令和2年1月4日に庄内中学校で庄内地区成人式を実施してから3年ぶりの地元での開催となりました。令和2年10月25日(日)完成した庄内地区公民館の多目的ホールは、成人式が開ける大きさとなっていましたが、新型コロナ感染症対策のため座席間隔を取ると参加人数が制限されるため、令和3年・4年は総合文化ホールで行いました。
 今日のはたちの集いには庄内中学校卒業生63名のうち48名の参加がありました。はたちの証書授与では中学3年当時の担任の楠田先生と塚田先生からクラスごとに点呼があり、それぞれの代表者に都城市教育委員の宮田若奈さんから証書が授与されました。来賓祝辞では当時の河野俊彦校長先生が、庄内中校長として3年間をみんなと過ごし、一番記憶に残る生徒だったことや、いろいろなエピソードとともにこれからも頑張ってと励ましの言葉がありました。
 意見発表では宮島常志さんが、先生方や両親への感謝の気持ちや、現在地元に残り父親と牧場経営をしていること。仕事だけではなく趣味で写真を撮ったり、サーフィンやフルマラソンに挑戦していることなどを発表し、精一杯頑張っている姿が伝わってきました。
 アトラクションでは当時の写真や、出席できなかった先生方の動画などを交えたスライドショーのあと、お世話になった5人の先生方に、花束贈呈がありました。先生方からも思い出話やお祝いの言葉が贈られました。コロナ過の中での式でしたが、はたちの皆さんや恩師、保護者、地元の方などの協力で心温まる素晴らしい式になりました。


【その他 】 新年のごあいさつ 令和5年元旦
新年のごあいさつ

 明けましておめでとうございます。コロナ感染症に加えロシアのウクライナ侵攻など心配事が絶えませんが、みなさまどのような新年をお迎えになられたでしょうか。
 昨年も新型コロナウイルス感染症は猛威を振るい、特にオミクロン株の流行で感染者が急増しました。第7波(6月〜10月)のピーク時(お盆明けの8月17日)には宮崎県の1日の新規感染者数が4千人を超え、人口10万人当たりの新規感染者数も、一時全国ワースト1位を記録するなど大変な状況になったのも記憶に新しいところです。
 このような状況を受けて、まちづくり協議会では住民参加の三大イベントのうち、第37回庄内ふるさと祭り・第28回庄内川一周YOU遊駅伝大会については、残念ながら昨年に引き続きそれぞれの実行委員会で中止を決定しました。しかし第23回庄内地区スポ・レク大会はコロナ感染が小康状態にあることや、屋外で行う行事であることから予定通り10月9日(日)に実施することができました。
 今年で12回目となる庄内中学校1年生の地域巡見学習も無事実施できました。生徒たちのお礼のメッセージを読みますと、事前学習もしっかりしており、庄内の良さを再発見してくれたようで大変うれしく思いました。この先進学や就職で庄内を離れる生徒も多いと思いますが、いつかはふるさと庄内に帰ってきてくれることを願っています。
 また、第4回庄内地区防災訓練は11月20日(日)実施出来ました。地区内自治公民館10館(1,900世帯、5,138名)がそれぞれ計画通り、安否確認・避難訓練などに取り組みました。災害時に自力での避難が難しい方(避難行動要支援者)107名の安否確認は各自治公民館長と民生児童委員が協力して行い、全員の確認ができました。うち11名は都城市消防団庄内分団(8部)が安否確認を行いました。消防団は前日の夜や当日朝防災訓練の告知にも協力して頂きました。
 庄内地区防災訓練のあと、都城市消防局警防救急課による「大規模災害対応訓練」を実施しました。対象は自治公民館長・副館長・まち協関係者などで24名が参加しました。24名を3班に分け水バケツ・消火器による消火訓練やジャッキ等による救助訓練・ロープワーク訓練・通報訓練などを、たくさんの消防局職員の方の指導で、熱心に訓練を行いました。
 今年度取り組んでいる地域防災力向上事業(宮崎県事業)は、NPO法人宮崎県防災士ネットワークの防災士さんが庄内地区各自治公民館と協働し、館内危険個所のマップづくりなどに取り組んでいます。お住いのみなさまのご協力をお願いします。
 年始の時期に当たり、新型コロナウイルスの感染状況は油断ができませんが「新しい生活様式」の実践でコロナに打ち勝ち、日常生活を取り戻せるよう頑張っていきましょう。
一日も早い新型コロナウイルス感染症の終息と、皆様のご健康をお祈り申し上げます。

 令和5年元旦
 庄内地区まちづくり協議会 会長 徳留 次男


【ニュース】 庄内中1年生が地域巡見学習の新聞を作りました 2022.12
 庄内中学校1年生(72名)を対象にした地域巡見学習を11月18日(金)実施しましたが、その後「お礼のメッセージ」集が届きました。さらに新聞づくりに取り組み、このほど黒木先生が届けてくださいました。手作りの素晴らしい新聞です。クリックしてご覧ください。

 庄内地域新聞・・江口璃香
 庄内新聞・・・・丸岡皇輝
 庄内歴史新聞・・藤村真由奈
 庄内日日新聞・・外山瑠菜
 庄内タイムズ・・中原空星
 庄内町歴史新聞・田中柚子
 庄内新聞・・・・細山田優愛
 ヒストリー新聞・別府倫生


【ニュース】 デジタルよろず相談会in庄内地区 2022.12.14
 都城市デジタル統括課では、デジタル化が急速に進む現代社会の中で「誰一人取り残されない、人にやさしいデジタル化」を目指し、スマートフォンなどデジタルに関する講習会を開催しています。
 10月27日には庄内地区公民館で「草の根地域デジタル活用支援事業」を開催し、自治公民館長さんたちに参加していただきました。今回はスマートフォンでの電話のかけ方や、LINEの使い方、マイナポイントの申請方法など、デジタルに関する、あらゆるお悩みに対応してくださる「デジタルよろず相談会」が庄内地区公民館で開催されました。民生委員・児童委員の方を中心に5回に分けて12名の参加がありました。今後自公連や民児協の連絡手段としてLINEの活用なども始まりそうです。


【ニュース】 戦時中に沖縄から疎開されていた方が来訪 2022.11.26
 戦時中に沖縄から千草に疎開されていた方(又吉真昌さん)が11月26日千草自治公民館に来られました。千草公民館長の鎌田忠幸さんが、当時を知る方3名の方と一緒に「おかえりなさい!又吉真昌さん」の横断幕と共に歓迎しました。
 又吉さんは当時疎開していた場所を訪ねたくて都城市役所に電話されたそうです。生涯学習課を経由して庄内地区公民館の内田館長に「ちくさく公会堂」を訪ねたい人が居るという連絡がありました。昔のことに詳しい坂元徳郎さんに聞いたところ、ちくさく=千草区、公会堂=自治公民館のことだろうと判明、鎌田館長に聞くと今の中尾商店の南側に当時の千草自治公民館があり、ちくさく公会堂と言っていたと分かり、さらに又吉さんと言う人が居たと覚えている高齢者がいることまで分かりました。
 早速又吉さんに連絡を取り、11月26日の訪問となったものです。千草の方たちと話をするうちに、昔のことがよみがえりいろいろな思い出話が出ていました。
 戦時中には庄内地区にも多くの沖縄の方が疎開されていたようです。千草でこの方たちのお世話をされていた鎌田ナミさんの手記が「庄内」第10号に載っていますので、一部を掲載します。
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 戦争がはげしくなった昭和十八、十九年ごろの事です。
 その頃、地区の隣組班長さんが沖縄の疎開者四世帯十五名を引受けてきて、愛国婦人会に面倒を見るよう言いつけられました。
 沖縄の人たちは、はじめは言葉もよくわからず、大変かわいそうな身なりをしていました。米の配給が足らず、お米や薪がなくなると私の家に来て、「おかあさん、お米がなくなりました。」「薪がなくなりました。」と泣きついてきます。
 私は役員会を開き、お米はごはんを仕こむ前にサカズキーぱいずつたくわえてもらい、疎開者が仕事のできるまで面倒を見て、戦争の苦しみをわけあいました。
 そして仕事のない時には自分の家の仕事を手伝ってもらったりしました。
 四年間のうちには、又吉真忠さんのように、その四世帯の中から出征する方もあり、同じ家族のように、面会には赤飯を作り、親子ともども汽車に乗って、鹿児島の航空隊に出かけたこともありました。親子連れの疎開者は汽車に乗るにも言葉がよくわからないので、「おかあさん、いっしょに行ってね」とすがるので、私も家のことはさておいて一緒について行ったものでした。
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「庄内」第10号の記事はこちら

 その後昭和50年になり、鎌田ナミさんは沖縄の又吉真昌たちと再会することになります。そのいきさつは「庄内」第11号に載っています。
「庄内」第11号の記事はこちら

写真前列左から2人目が又吉真昌さん、両側は千草に疎開があったことを知る人、後列は左が又吉さんの息子さん、右が鎌田公民館長



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