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 南洲神社の創建 昭和4年鹿児島の南洲神社に分霊を請願し許されて、西郷南洲翁の御霊と明治10年の西南の役に出陣した庄内郷出身戦死者56名の御霊を祀った神社です。

 現在の社は昭和55年12月再建したものです。当初の社殿はたまたま改築された諏訪神社の古い社殿を移したものでしたが、昭和53年不慮の出火により全焼しました。


 社の西に2基の石碑が有ります。

招魂碑 
 西南戦争に庄内郷から出陣し、戦死された56名の方々のお名前が刻んで有ります。

明治丁丑之役従軍者記念碑
 丁丑之役とは 明治10年の西南戦争のことです。この戦争に庄内郷から従軍された218名の方々のお名前が刻んで有ります。

 これら2基の記念碑は明治13年3月東区の豊幡神社境内に建立されたものです。昭和38年城山に忠霊塔が建立された折、分散していた西南の役(豊幡神社)・日清日露(庄内小お軍人)の石碑をここ城山に集めました。平成4年7月西南の役関係2基は現在地に再移転されたものです。

 庄内郷 明治22年町村制公布以前の呼称 庄内郷の中の安永の地域だけが庄内村となる。

 社の南面に3本の巨木があります。階段の東側の2本(径約80cm)樫の木(アラカシ) 木の実は渋く、子供の頃かじっては「ドッジ」といって吐き出したものであります。西側の1本(径約90cm)は椎の木(ツブラジイ)で秋になると甘味のある小さな実を着けます。子供頃は「コジひるけいっが」と出かけたものでした。

 秋の例祭の時「コジひるけゆ来たもんじゃったな」「いまん子どまくみっもしらんじゃろな」年配の方々からこんな会話が出てきます。

 この椎の木平成11年の台風の時上半分が裂落し、痛々しい姿になっています。
写真撮影・文 庄内パソコンクラブ